» はじめての礼拝

礼拝をお考えの方へ

「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(新約聖書 ヨハネによる福音書 第4章23〜24節)






「礼拝」といっても、具体的にどのようなことをするのかと不安を抱えるかもしれません。しかし、ご安心ください。釧路教会と共に歩んでいる釧路めぐみ幼稚園・湖畔幼稚園の園児たちも毎日、礼拝を守っています。教会の大人の礼拝も、教会学校の礼拝も、そして釧路めぐみ幼稚園・湖畔幼稚園の礼拝も、みな、全く同じ「礼拝」なのです。礼拝では、神さまのみことばである「聖書」を読み、「祈り」を献げます(具体的には、「主の祈り」を全員で祈ります)。また、オルガンの音色に合わせ「讃美歌」を高らかに歌い、キリスト教会が大切にしてきた信条である「使徒信条」を唱えます。さらに、聖書の説きあかしである「説教」に耳を傾けます。「献金」のことなど、礼拝に出席される前に色々とご質問などございましたら、どうぞ遠慮なく、メールなどでお問い合わせくださいませ。


クリスチャン(キリスト者)とは?

「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」(新約聖書 フィリピの信徒への手紙 第3章7~8節)

上にある聖書のみことばは、伝道者パウロが語ったメッセージです。パウロは復活された主イエス・キリストと出会い、回心するまでは、主イエスを信じるクリスチャンを徹底的に迫害していたのです。しかし、主イエス・キリストに出会って頂いたことで、180度の回心をし、信仰を告白し洗礼を受け、それまでのパウロの価値観とは全く正反対の人生をクリスチャンとして歩むことになったのです。このようなクリスチャンの存在に興味を持たれた方は、ぜひ、釧路教会にいらしてください。教会員一同、心よりお待ちいたしております。


釧路市の街の皆様へ

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」(新約聖書 使徒言行録 第18章9~10節)

上にある聖書のみことばは、伝道者パウロが幻の中で神さまから告げられたメッセージです。パウロは、ギリシアのコリントやアテネの町で伝道者としての厳しさを強く感じていました。しかし、神さまの力強い励ましを受け、神さま、主イエス・キリストの愛を、恐れることなく、黙ることなく大胆に語り続けました。釧路教会も、これまでさまざまな時代を経験してまいりましたが、「釧路の町には、私の民(神さま、イエスさまを信じるようになる民)が大勢いる」と信じ、主日(日曜日)毎の礼拝を誠実に守り続けております。既に、他のキリスト教会で洗礼を受けて、クリスチャンとして信仰生活を続けておられる方はもちろん、転勤などで釧路の街に引っ越され慣れない土地で、さまざまな不安を覚えておられる方は、ぜひ、釧路教会にいらしてください。共に礼拝を守り、神さまを高らかに讃美いたしましょう。